|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank
ノースオーガスタ() は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州西中部のエイキン郡に位置する都市である。一部はエッジフィールド郡にも入っている。サバンナ川の北岸にあり、ジョージア州との州境に接している。サバンナ川の対岸(南岸)は、ジョージア州オーガスタなので、市の名がある。2010年国勢調査での人口は21,348 人だった。サバンナ川中央地域に入っており、またオーガスタ大都市圏に属している。 == 歴史 == ノースオーガスタはサバンナ川と滝線が交わる所にあり、オーガスタ市の対岸である。この場所には以前に3代の町があった。300年以上前にイングランド人がサバンナタウンという交易基地を設立した。この町は、オーガスタの方が繁栄し、交易業者にとって魅力あることが分かったときに放棄された。次は200年以上前にタバコの交易拠点およびインディアン交易業者の拠点として、キャンベルタウンが設立された。この町もサバンナ川のジョージア州側との競争があり、時には暴力的な事件もあった。タバコ市場の衰退も手伝って19世紀初期にはキャンベルタウンが無くなった。 綿花経済の爆発と共にこの地域は、ジョージア州およびサウスカロライナ州の上流側山岳部を通じて、農園の貴重な産品の重要な市場になっていった。1821年、機械の天才で起業家だったヘンリー・シュルツが、オーガスタ市と直接商業的な競争を行う形でハンバーグの町を設立した。1833年、サウスカロライナ鉄道が開通し、ハンバーグで集めた綿花を海港であるチャールストンに運ぶ道筋ができた。1848年、オーガスタ運河が建設され、ハンバーグよりも上流の産品を運んでくるルートになった。サウスカロライナ鉄道の鉄橋でオーガスタ市と繋がれることにより、物品がハンバーグの町を素通りすることとなり、白人が町から出て行き、南北戦争後は黒人がそれに代わった。1876年、白人の暴徒が、黒人が主になっていた町を攻撃して略奪し、囚人を連れだして処刑し、他にも怪我をさせたり、選挙で選ばれた町の役人を殺そうとした事件が、最後の打撃になった。ヘンリー・シュルツは貧困の中で死に、ハンバーグを見下ろす崖の上に、オーガスタ市に背を向ける形で埋葬されているとされている。 ノースオーガスタの町は以前の町が商業で競争して失敗した轍を踏まないために、住宅とリゾートの町として設立された。その開発の多くは、1902年にジェイムズ・U・ジャクソンが、オーガスタ市を見下ろす丘の上にハンプトン・テラス・ホテルを建設したことに始まっていると言うことができる。当時このホテルは国内でも最大級かつ贅沢なホテルであり、20世紀初めにオーガスタ市を訪れた多くの旅人が利用した。ハンプトン・テラスを終点とする都市間トロリー線が町を通って建設され、オーガスタ・エイキン鉄道および電気会社と呼ばれ、後にはエイキンまで延伸された。トロリーの運行は世界恐慌の頃に終わった。ノースオーガスタは当初ハリウッドを造る場所として選定されていたが、それがカリフォルニア州に移されたのは、ホテルが焼け落ちたのが唯一の理由だと考える者が多い。1916年の大みそかにホテルが焼失した時までに、ノースオーガスタは繁栄を始めており、現在でもオーガスタ大都市圏の主要部となっている。 ノースオーガスタ市内にあるアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されるものとしては、ジョージア・アベニュー=バトラー・アベニュー歴史地区、チャールズ・ハモンド家屋、ルッカウェイ・ホール、ブリトン・ミムズ・プレース、ローズマリー・ホール、B・C・ウォール家屋がある。 2006年4月21日から23日、ノースオーガスタはその設立100周年を祝った。 ノースオーガスタは近くにある約2,500人のアイリッシュ・トラヴェラー(漂流民)の町、マーフィー・ビレッジがあることでも知られている。2012年、この町はザ・ラーニング・チャンネルの番組『My Big Fat American Gypsy Wedding』で紹介された〔The Augusta Chronicle description of the North Augusta episode of 'My Big Fat American Gypsy Wedding' (archive.org) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノースオーガスタ (サウスカロライナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|